怪奇三線 ハナンダ三線の由来2

具志川村湊川ハナンダ洞穴から出たもので、ウチャタイマグラーが所持していた三味線との言い伝えがある。

写真はハナンダをおさめた数少ない写真の一つ。
芯穴は二つ。
型は糸蔵長与那城。

佐敷町の照喜名朝福氏が生前に聞いた話だが、昔、照喜名さんは実際にハナンダを見たことがあると話されていた。終戦後にも有名な三線であったという。型も綺麗な三線で穴も二つだったことから印象に残っているという。

私は実際にハナンダ洞窟の中に入ったことがあるが、地元の人は「洞窟の入り口の穴が、鼻が長い顔に見えることから、ハナンダという名前の洞窟で昔から親しまれていた」と言っていた。

また野村流音楽協会コザ支部の佐久田師範の話では、「ハナンダとは洞窟の事ではなく、昔の庭師を指す名称である」と言っていた。
昔、雇われ庭師と主人の娘が密かに恋に落ちた。
それを知った主は怒って庭師を殺してしまった。
その庭師が大事にしていた三線が後にハナンダと名付けられた。
庭師の遺体はハナンダ洞窟に風葬され、形見として三線も一緒に置かれたが、それを誰かが持ち出したことから怪奇な話が出回ったと言われている。
人から人へ渡るたびに不吉な事が起こったため人々は「命取り三線」(ヌチトゥイサンシン)として恐れた。

以上、先輩方から聞いた話である。

次回は実際にどのようにハナンダ三線の経由について書く。




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選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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