怪奇三線 ハナンダの由来3

※昭和53年5月30日の記録
馬天(佐敷町)の瀬底三郎という人が若い時にハナンダを弾いたことがあるとの情報に接し、探問してハナンダについて尋ねた処、次の通りの回答を得た。
一、私が弾いた三味線は真壁型のハナンダだった。
当時「カッチン田場」と云う人が、その三味線を持っていたが、その人からよく呼ばれて何回も弾いたことがある。その人がその三味線を何時、何処で誰から求めたかについては、尋ねた覚えがあるが聞かせてはくれなかった。
その三味線は戦前、大阪方面へ渡ったということを誰からか聞いた覚えがある。その人の出身地は知らないが「カッチン田場」と云っていたので勝連方面の人ではなかったかと思う。
二、戦前、玉城村字糸数の人の「門の主」(ジョウヌシュウ)という人から真壁型の三味線を15円で買ったことがある。そのとき門ぬ主から聞いた話だが、与那城のハナンダは門ぬ主が11円で買って百十円で親ケ原のハワイ帰りの「アカタンメー小」という人に売った。ということであった。
その三味線は糸蔵長与那城で芯の穴が二つであった。
三、噂で聞いた話だが、与那城のハナンダは玉城のハナンダ墓にあったのを誰かが真壁型と取り替えて持ち出し、それが何名かの手を経てカッチン田場という人の手に渡り、それもハナンダと云ったようである。
※まとめ
ハナンダという名前の三線は二丁存在していたことが分かる。元々は真壁型だったのを与那城に取り替えたとの事。真壁型のハナンダは現在消息不明。
墓から持ち出した という点が、怪奇ハナンダとして噂された始まりだと思われる。
与那城のハナンダのほうが話題になってしまったが、もし真壁型が本物のハナンダであれば、後に広がった与那城ハナンダは本物ではないことになってしまう。
真壁型ハナンダも是非見てみたいものである。
つづく

胴巻屋

選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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