これは大正生まれの愛弦家様に取材した際伺った、少し不思議なお話です。
大正時代、変わりものの三線名工がいた。
職人は良い名器を制した。
昼間は、皮張りや付属品を作るが、棹を作る姿は誰も見たことがなかった。
職人は満月の日になると、決まって道具を持って何処かへ出かけていくのだった。
それを見て、不思議に思った隣人が、一体夜中にどこへ行くというのだと尋ねたところ、
「棹を作りにだ」と返事が返ってきた。
真夜中に三線を作るなど馬鹿げていると思った隣人であったが、三線工の真剣な表情に、冗談だとは思えなかった。
後日、三線工の話を聞きたいと思った隣人は、家に尋ねて、その話を詳しく聞かせて欲しいとお願いしたところ、次のような話を語り出した。
「潮の満ち引きが満月と関係があるように、三線に使う材(木)も影響がある。
私は満月の日に原木と道具を持って川や砂浜に行くのだ。
火を焚き、自然の呼吸に合わせて、静かに行う。
そして月明かりの下、丑三つ時に合わせて、水をつけながら木を湿らせる。
鑢を入れて徐々に絞っていく。そしてまた時間が経てば帰って、次の満月の日まで木は置いておく。それを繰り返す。
そしていよいよ全体が完成という満月の日には、
予め焚き火の中で熱していた長い鉄の棒を、爪裏から野(棹)の真ん中になるように、ゆっくり入れていく。最後まで入れたら、分からないように穴に木を入れて蓋をする。
私はこれで不思議な響きを得られるように工夫している。
しかし、満月の丑三つ時でなければ、この作業はできないだろう。
これは誰にも内緒の話だから、公言は控えるように。」
と言われたという。
このエピソードを話してくれた愛弦家は、もう随分も前に他界しているので、詳しいことはこれ以上聞けないのだが、
まるで夢のような、不思議なミステリアスな話であった。
だが最近、ある三線職人からユニークな話を聞いた。こんな話だ。
「今までで不思議だったのは、お客さんから修理で預かった古い三線だが、棹の中に鉄の棒が入っているのがあった。あの時代にどんなして鉄の棒を入れることができたのか分からないが、本当に不思議な三線だった」
もしかするとそれは、あの愛弦家が話してくれた、満月の日に三線を作る名工の作だったのかな?とふと頭をよぎったものだ。
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