引き続き胴巻屋の本も宜しくお願い申し上げます
担当 山城
以下 新報書評より抜粋
三線の音色に思わず反応してしまう。これを経験した人は少なくない。三線にまつわる謎や魅力は漠然とした臆測やおとぎ話で彩られてきたが、具体的な証明は少なかった。
連綿と受け継がれてきた古三線には、歴史を語る鑿(のみ)跡が刻まれている。この書はそれら古三線を愛した者の物語を、後世の者がひもといていくことを通して、謎の証明に挑むものである。未来に残すものを選択する精神は何をよりどころとするのか、次につなぐとは何かをいや応なく考えさせられた一年を経て、武器を持たない琉球士族の精神を担ってきた古三線に思いをはせる。
士族は自らの意思ではないにしろ、刀を手放したその時、刀に込めていた武士道精神を古三線へと継承した。武力としての機能ではない、美しくも妖しい曲線や見えない箇所に施された型を取り込み、芸術品としての三線を完成させた。刀ではなく三線が精神のよりどころとなったことは、結果的に平和を愛する島のシンボルとなり得た。
武や権力の横行はやまないが、技を純粋に落とし込んだ文化芸術が、むなしい争いを回避する力になると信じた人々が、確かに存在し、現在までつないできた。激動の時代を経て残存した三線そのものがその証しであろう。私たちが二度と目にすることのできない空間に存在した物たちが、目の前に存在する。それは、あらゆる苦難を乗り越えてきた精神の象徴としての存在でもある。
古三線を目前にどう感じるかは、とても自由だ。価値観を人に委ねてきた情報社会では、時に伝統文化に他人行儀になりがちだ。しかし、どんなに高名でもそうでなくても、身体尺を用いて製作された三線は、当時の沖縄人を写しとった三線と言える。確かな人物の存在を触れて感じることができる三線に、ありのままで対峙(たいじ)する。それらを丁寧にたどるこの書は、人前で演奏することがはばかられるこの時代に、われわれが真に平和な音色を探すその旅路を、共に寄り添ってくれるだろう。
(中野夢・染織作家、琉球笛奏者)
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