沖縄で酒が造られたのも既に古く、記録歴史以前に遡るという。
その製法は米を水につけたものを女性に噛ませて粥となし、それを発酵させると甘酸っぱいドロドロした酒ができた。
文化を遠く離れた不便な島々では近代までも、それが日常に使われたと見えて今から500年以上も前の尚真王の時代に八重山の与那国に漂着した朝鮮人の漂流記には、その製法や飲み方が書かれている。
未婚の女性に噛ませたらしいが、女性の唾液が麹の作用をしたとのこと。
沖縄本島の文化の中心地では、異国から造酒工業が早くから伝わったので、女性の口で噛んで作った在来のかみ酒は一般的には用いられなくなった。
それはただ稲のお祭りなどのように祭礼の時だけに用いられた。
それをウンサクとかミキとか言った。
このウンサクの他に異国の香高い沖縄特産の泡盛が製造されるようになったのはいつの頃だろうか。
東恩納寛惇先生は「泡盛雑考」の中で、その問題に触れている。
大体の見当は第一尚氏王統時代とされている。
おもろさうし には、酒に関係のあるおもろがあちこちに見られる。
うけさ、ほしや、あらす
おうね、よりそいよ
しげち、ほしや、あらす
おうね、よりそいよ
歌の意味は、美味なお酒やしげち(酢)を飲みたいならば、御船を寄せ付けよ
という事らしいが、しげちは琉球の古語辞典混交験集によると酒の異名とある。
また しげち というのは古い日本語で。どぶろくよりも強い強烈な上酒だという。
このおもろを読むと、在来のウンサクというドブロク酒よりも、香高くアルコール分の強い外国酒が貿易船によって輸入されていたことがわかる。
もちろんその数量はわずかで貴重品であったから、王族貴族でないと手に入らなかった。
だから、おもろでは、そんな美味しい酒が飲みたければ、貿易船を引き寄せなさい
と歌っている。
続く
※写真 那覇市歴史博物館
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