沖縄の歴史では対外貿易のはじまりは察度王時代の一三七二年。対支貿易の商品を調達するには南方貿易をする必要があったので、だんだん南方諸地域との貿易が盛んになった。
そして第一尚氏王統時代は最も盛んであった。沖縄と交通のあったのは、シャム、バランバン、ジャワ、マラッカ、スマトラ、パタニ、安南、スンダ等の各地。
このうち最も長く取引の続いたのはシャムとの交易であった。
沖縄の泡盛の歴史と因縁浅からのは、このシャム国であるという。
沖縄と諸外国との貿易のことを記載した歴代宝案のところに、シャム国からの到来品の中に香花酒というのがある。
この香花酒というのはシャムの酒ラオロンであるというのは、戦前シャムの調査に行かれ、その製法や風味を実際に体験した東恩納先生の見解である。
シャムのラオロンという酒は製法も風味も沖縄の泡盛にそっくりだというから、泡盛の祖といえる。
戦後はすくなくなったが、戦前は首里の旧家に南蛮がめがあちこちで見られたという。
こよ南蛮がめと呼ばれている酒甕は、五百年余りの昔、われらの祖先がシャムと交易して持ち込んできたラオロン酒をいれたものである。
朝鮮人の琉球漂流記の中に、
「那覇港内に城を築いて中には酒倉庫を設けてある。倉庫内に大甕を並べ酒がみちあふれている」とあるらしいが、この酒が沖縄で作った泡盛であったのか、それともシャムから輸入したラオロンであったのか判然としない。
もし泡盛であったならその頃から沖縄は泡盛を大量に製造して外国に輸出していたことにある。
泡盛の輸出よ歴史も古いということになるでありましょう。
続く
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