正與那城型 八重山 至高の逸品

中城村出身の彫刻家と三線工としてその短い生涯を終えた平安(ひらやす)。彼が昭和期に残した復刻三線「正與那城型」である。南部の演奏家であった故比嘉が買い求めた八重山黒木を平安に委託し誂えられたもの。王朝期から伝わる名器與那城三線と瓜二つの形状のものを造って欲しいとし、その與那城棹を預けて、一から図面をおこして制作は始まった。八重山材の乾燥が良かったため、作業はスムーズに進んだようで半年の期間をもって完成された。天虹の輪から芯猿尾まで風格が有り見事な作であるが、卵の様な天の膨らみ、糸蔵側面の範穴の開け具合まで見事に伝統的な作りを再現している点も見逃してはならない。彼の残した作品は現在ではほとんど消息不明状態であるが、これまでに見た遺作よりも、俄然飛び抜けて作り込まれた作品である。彼はこの三線を仕上げるに至り、一体どのような想いで向き合われたのだろうか。神聖で祈る様な姿勢で向き合いながら鑿を打ったのだろうか。はたまた王朝期與那城にすっかり魅せられた影響で、いわゆる「神ダーリー」(トランス状態に似た意味)しながら造ったのかとまで思ってしまう。そう思わせるほどに、この作品は他の與那城よりも群を抜いて何かしらのパワーを感じられてならない。チーガは桃原製のチャーギ材で、物も当時のまま。内部に小さく比嘉の墨書きが残る。棹の状態は捻りなどなく正常。音色は、、いちいち申し上げる必要はないだろう。実際に触れてみて、この三線のチカラを感じてもらいたい。

昭和期平安作 正與那城型 八重山黒木 彼が残した至高の逸品 | 胴巻屋 powered by BASE

中城村出身の彫刻家と三線工としてその短い生涯を終えた平安(ひらやす)。彼が昭和期に残した復刻三線「正與那城型」である。南部の演奏家であった故比嘉が買い求めた八重山黒木を平安に委託し誂えられたもの。王朝期から伝わる名器與那城三線と瓜二つの形状のものを造って欲しいとし、その與那城棹を預けて、一から図面をおこして制作は始まった。八重山材の乾燥が良かったため、作業はスムーズに進んだようで半年の期間をもって完成された。天虹の輪から芯猿尾まで風格が有り見事な作であるが、卵の様な天の膨らみ、糸蔵側面の範穴の開け具合まで見事に伝統的な作りを再現している点も見逃してはならない。彼の残した作品は現在ではほとんど消息不明状態であるが、これまでに見た遺作よりも、俄然飛び抜けて作り込まれた作品である。彼はこの三線を仕上げるに至り、一体どのような想いで向き合われたのだろうか。神聖で祈る様な姿勢で向き合いながら鑿を打ったのだろうか。はたまた王朝期與那城にすっかり魅せられた影響で、いわゆる「神ダーリー」(トランス状態に似た意味)しながら造ったのかとまで思ってしまう。そう思わせるほどに、この作品は他の與那城よりも群を抜いて何かしらのパワーを感じられてならない。チーガは桃原製のチャーギ材で、物も当時のまま。内部に小さく比嘉の墨書きが残る。棹の状態は捻りなどなく正常。音色は、、いちいち申し上げる必要はないだろう。実際に触れてみて、この三線のチカラを感じてもらいたい。https://doumakiya.amebaownd.com/

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