糸蔵長与那城

先日アメリカへ渡りました。

ただの旅行ではござません。

ある方の葬儀も兼ねて、是非とも一件の約束を果たしたかったのだ。

時代は戦前

ソテツ地獄と呼ばれた沖縄大飢餓の大正期に

一人の県人である那覇出身の金城氏がハワイへ渡り、戦後ニューヨークへ移住し生計をたてた人物がいた。

彼はハワイへ渡るその時も一丁の古い家宝の与那城を抱いていた。

時代は流れ、子から子へと受け継がれる与那城であったが、本国とは違う文化や時代とともに、

その与那城は忘れ去られるように、物置の隅に置かれたままであった。

去年(2018)にアメリカからのe-mailを受けた私は事情を聞くなり、

その与那城に会いたい という気持ちの衝動に駆られた。

2019,1月上旬にケネディ空港に渡った私は

マンハッタン北部の待ち合わせの自宅へ向かうため地下鉄に乗った。

洋風のテーブルにコーヒーを出された後、その与那城と対面するに至った。

それは塗りも古く、無造作に保管された形跡は残るものの、美しい糸蔵長与那城であった。

猿尾には象牙が付け足されており、爪裏はもろ取りがなされている。

戦前、どのような背景で那覇町の中 奏でられていたのだろうか。

そして、金城氏がどのような思いでこの三線を抱いて沖縄を去ったのだろうかと思うと目頭が熱くなった。

私はコーヒーをすすることも忘れ、この三線を2000ドルで買い付けて、沖縄に戻ったのだった。

空港では入国手続きの際に、袋に入れた棹を銃と勘違いした職員に職務質問を受けるという、

なんとも心外な経験をしたが、なんとか無事に成田に到着した時はホッとしたものだ。

場所がニューヨークだろうがどこだろうが、きっと素晴らしい三線に出会うという予感があれば、

私は可能な限り飛び回る決意だ。

それは常識外れかもしれない、狂っているかもしれない。

しかし、ここで思い出してほしいのは、

二度と戻らない琉球を 戦前の沖縄への掻き立てられるような情熱。

三線には沖縄がある。琉球がある。そう、宿っているのだ。

その魂に突き動かされて、私は進む。

胴巻屋

選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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