戦前生まれの名工の話


昭和の三線名工 '慶田'

池宮喜輝の昭和初期の書「琉球芸能教範(沖縄三味線教範)」の中でも'新作の部'で紹介されている慶田。その人物の背景をここに記す。

その当時、現在の那覇市与儀付近に慶田の三味線屋はあった。
三線屋といっても、古い瓦屋根の小さな一軒家に、看板もあげてもおらず、ひっそりと三線を制していた。
昔ながらの職人は皆頑固で気難しい面があるが、慶田は厳しさの裏にも優しい一面もあった。
「昔はみんな手作業で、とても大変だった。製材をする機械もないから、鋸と鉋、鑿と鑢で一本一本作った。また、三線の作りを習うのも大変で、よほど許されない限りその作業は見せてもらえなかった。」そう語っていたという。

慶田の遺作を何度か見たことがある。
そして手作りの胴も偶然発見したこともあった。
それはどの名工作にもはまらない優雅さと、素朴さと、優しさが感じられる作風だった。
当時の一軒家も、風景も残されていない。
やがてその名工の名も忘れ去られないようにと、ここに残させていただきます。

胴巻屋

選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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