怪奇三線 ハナンダの由来,Ⅴ

昭和五十三年六月二十八日

玉城村字親ケ原一六六番地

元校長 喜舎場 当時八二才

を訪問して、馬天の瀬底三郎氏から聞いた親ケ原の「アカタンメー小」について尋ねる。

・「アカタンメー小」ではなく、「アガタヌ前小」である。三味線宝鑑に載っていると言う「真造」は「真信」の兄であり、昭和八年頃、布哇から引き揚げて農業に従事していたが、令次戦争中に玉城村字仲村集の俗称「上江洲口」と言う壕の中で死んだ。

・ハナンダ三味線を持っていたのは「真造」ではなくその弟の「真信」である。

・儀間真信は三ヵ年位前に九十才で死亡した。その遺族の妻や息子の博が那覇の楚辺に居る。

・値段については聞いた覚えがあるが、忘れた。とにかく家一軒が建つ値段であると言うことであった。

・真信氏がその三味線を何処の誰から買ったかと言うことも当時は聞いた筈だがもう忘れた。その三味線を何時、誰に売ったかも知らない。

・真造氏の二男で真裕氏(七十七才)が読谷村の読谷高校近くの外人住宅跡に住んでいて健在である。彼は三味線が上手だったから、或いは祖父に当たる真信氏が持っていた有名な三味線を弾いたことがあるかもしれない。

胴巻屋

選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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