怪奇ハナンダの由来.Ⅵ

昭和53年6月28日

喜舎場が書いてくれた地図を頼りに

那覇市楚辺2−3−5

真信の六男 儀間 博(大正14年生)

真信の妻  ツル (当時八十七歳)

方を訪問して、博氏の証言により次のことが判明した。


・儀間博は一九三三年 父真信と共にハワイから来沖して当時は玉城村の「上江洲口」というところに居住していた

・父がハナンダという三線を買ったのは、帰沖後二ケ年ぐらいして一九三五年頃ではなかったかと思うが、はっきりした事はわからない。いつの間にか我が家に来て、いつの間にかなくなっていたというのが実感である

・二ヵ年ぐらいは家にあったのではなかろうかと思う。誰に売ったのかもわからない

・博fは幼少なりし故三味線の型などは知らなかったが、棹が太めの三線だったように記憶している

・高い値段の有名な三線だったという憶えはある。博は小学校時代に子供仲間から「ハナンダ」という綽名を付けられていた

・父は一九三三年にハワイから帰ってきてからは再度ハワイに行った事はない

・母ツルは一九五六年戦後ハワイから帰ってきたのでハナンダのことについては知らない

・父の片目について

父真信が三十歳ぐらいの時ハワイでバナナを切り倒した際に、倒れるバナナを見上げている時に、バナナの樹液(「ナマジーと表現」注 ナマジー=生汁のこと(胴巻屋))が目に入り、それが原因で目を患い、片目は眼球摘出手術を受けて片目となった

注:「真信はハナンダ三線を買ってもってから片目はつぶれたそうだ」という噂があったが父が片目になったのは、ハナンダを購入する以前に患ったものであり、ハナンダとは何の因果関係もないことがこれで判然とした

・父は明治十八年生まれで一九五〇年に九十歳の時那覇で死亡した。幼名は「カナー」であった


続く・・・ 



胴巻屋

選りすぐりのヴィンテージ〜名作三線と、手作りの胴巻を扱っています。著書「古三線に魅せられて」

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