三線職人さまが身を削る思いで製作に取り組んでいらっしゃることを、私たちはいつも忘れてはならない。
人間とは多忙な中でエネルギーを使い果たし、回復もしないままにまた仕事を重ねることで、思わぬ方向性に傾くこともあるが、それは三線工さまも同じである。
那覇市小禄の三線名工平良さん親子もそうであった。親父さんの平良昌則さんが過労と肺の病気で入院されて、息子である進さんは一人、依頼される三線を作り続けていた。身近な人にだけは辛さを打ち明けていた。入院中の親父さんが旅立ってから暫くして、後を追うようにして息子さんも他界された。
芸術品として作品の向上に取り組めば取り組むほど、時間と体力の勝負になる。手抜きができない分、完成は遅くなる。その繰り返しに苦しむ方もいらっしゃる。
中には追いやられてたどり着いた先に、精神世界に身を置いて製作の安定を求める方も多い。または職人を諦める方も。多くの話を聞く。課題は山積みだと感じる。どのようにして、弾き手の想いを和ませる音色を届けることができるか。それが一番の目的だからこそ、どれも手を抜かない。
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