国場組 と聞くと、沖縄では誰もが耳にしたことがある大手企業である。
その国場組の創業者 国場幸太郎 は沖縄財界四天王の一人として、その名は語り継がれている。
その国場幸太郎は、三線にも縁がなかったわけではない。二千十四年十月にやってきたのは国場幸太郎が所有した鴨口與那城。古三線である。ユニークなのは、胴の人工皮が'反対'に張り付けられていること。今では考えられないことになっているのだが※昭和以前の三線を広く調査していけば、それがごく普通のことであることをここに付け加えたい。
国場幸太郎氏が好んで三線を弾いていたという話は聞かないが、一昔前の時代まで、財界人が高価な三線を所有することが、いわゆる贅沢品として好まれていた。国場もその一人であった。また、その兄弟の国場幸八氏なる人物がいて、彼は三線を好んで弾いていた。また幸太郎と同じく、高価な三線を収集することを趣味としていた。こちらにも何点か幸八の所有した名器が訪ねてきたことがあったが、やはりどれも古三線であった。その趣味は骨董寄りの目が養われていたと推測されるものが多い。何年か前のことだが、うるま市勝連の南風原方面で骨董屋があり、その店主が幸八所有の古三線を所有しており、彼は幸八所有だから価値があると話しており、価格は50万円と言っていたが、それほどのものではなかった。今はその店も畳んでなくなってしまった。このような例をとっても、国場氏が沖縄に与えた影響が大きいものかがわかる。ただ、誰が所有していたかという事前情報も大事で在るが、その作品と見るものの相性や 感覚 が何よりも大事である。だからこそ、三線を含めた楽器との出会いは非常に面白いものである。そして心を豊かにする。物に対することであれ、愛情が湧くのであれば、それだけで自分にも価値を見るのだから。
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