三線工の個性は様々であるから、いくら探究しても飽きというのがこない。
あるものは角を出し鋭さを意識する。
あるものは丸みを出し柔らかさを意識する。
今回は少しユニークな三線工の事を書き残したい。
猟銃の彫り士から三線工へ〜宜野湾の平安〜
平安が残した三線は実に少ない。
なぜなら、活動期間がごく短く、作品をあまり残すことができなかった。活動半ばで逝去された方である。
もともとは宜野湾市普天間から58号線に降りていく途中で店を構えていた。
猟銃の彫り込みを専門とした職人である。だから手先が器用であった。
どんな経緯で三線製作を始めたから分からないが、野村流古典音楽の師範佐久田氏の影響であろう。
佐久田氏は平安の習得の速さを見込んで、自身が所有する王朝期三線「與那開鐘」のレプリカを製作依頼し、「この三線は與那開鐘のレプリカであることに間違いありません」と墨書きの証明書まで付けて販売していた。
このレプリカであるが、今から八年ほど前にたまたま入荷したことがあり、芯には「與那開鐘写」と綺麗に彫り込みがあったのを、今でも記憶に残っている。
また、その三線は、オリジナルが持つ歪みや古さを忠実に再現しようという平安の努力が見られ、無名の職人であったが、胸打たれるものがあった。
與那開鐘以外でも様々な復刻を製作していたことを知っているが、実は今から何年か前に沖縄県立博物館で行われた「家宝の三線展」で、平安が作った三線が古い三線として展示されているのを見て、少し複雑な思いになったことがある。
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