久しぶりに古美術蒐集家の翁長良明さんから電話をいただいた。
我が著書「古三線に魅せられて」の内容を称賛するものであった。
面白くて何度も読み返していると話していた。感謝である。
その電話口で面白い話を聞かせてくれたのでここに書き留めておく。
戦後、真喜志康忠が村芝居のため各地を巡業していた頃の話。
やんばるは国頭の辺土名で芝居をしたところ、集まったお客さんが芝居言葉が通じなかったため、急遽内容を変え、踊りや空手演舞に変更されたという話であった。
こんなに小さな島であるのに、なんとも各地方の色が濃いものかと、感慨深いエピソードであった。つまり、今我々に浸透している標準語の「うちなー口」は、戦後はまだ限られた地域に限り通じるものであったということなのである。
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