琉球漫録という珍しい本がある。
沖縄の遊郭で見たことをそのまま記しているという内容だ。
出版は明治十二年という古い本。なかなかの珍書である。
ここに簡単にその内容をまとめてご紹介したい。
盛り上がりを見せていた頃の那覇辻遊郭とはどんな場所であったのか。
そのありのままの姿が、我々現在人に訴えるものとはなんだろうか。一緒に考えよう。
「娼家と尾類(じゅり)」
琉球には、辻、渡地、仲島と、三箇所に遊郭があるが、
そのうち辻が上等のA級である。辻の面積はおよそ五町平方で、中道、端道、後道に区画されている。
娼家の家は二百余りと言われ、大きな婦家には尾類が二十人もいるところがあるが、
小さい婦家には5、6人しかいない。
ジュリの数はおよそ1500人という。ジュリはめいめい一室を持っていて客をとっている。
これらのジュリは大まかに二派に分かれる。
容姿美しい二十歳以上のものは、たいてい妃のような生活をしていて、トヂとよんでいて、(チミジュリの意味か?)相手にするのはただ一人のお客である。
これをジュリの上の部類といって良い。
醜娼や少女は時に応じて数名の客とも付き合っている。
これは下等の部類でこんなジュリを「グンボー」(牛蒡の意味)といっている。
しかし少女でも顔立ちが綺麗で客から所望されると、チミジュリとなる。
そうなるともう他の客を取ることはない。
内地の寄留人や島の人士たちが、自分のチミジュリのところへ行って宴遊したり宿泊するさまは全く普通の娼宅といった感じである。
「鹿児島商人との交情」
チミジュリになると、客の家に雇い入れられることもある。
鹿児島の寄留商人はみんなこんな風にしている。
数年同棲して、2、3人の子供を産む。朝夕主人の商売の手助けをしている。
しかし主人が鹿児島に引き上げたり、あるいは死んだりすると、また、元の古巣の辻にかえっていくが半年間は決してお客をとらない。
ジュリは人妻となることを禁止されているので、一生涯遊女として暮らさなければならない。
それで3、40年間の間にはたくさんの貯金をして、少女数名を買い入れ、それを仕立ててジュリとなし、自分は養母のように一家を経営して生涯を送るのが普通である。
いわゆる辻アンマー(辻の母の意味)である。
娼家の内には男性は一人もいない。
アンマーからから料理を作るものまで、みんな女性である。
琉球には茶屋とか旅館というものは、一つもない。
旅の者や地方から出たものが食事を取るにも宿泊をするにもこの娼家を利用する他はない。
料理屋兼旅館である。
客に出す酒は泡盛というもの。酒の魚は豚肉魚肉である。
野菜は豚油で煮たものを出す。支那料理に似ている。
楽器は蛇皮線というもの。娼婦も客もそれで歌ったり踊ったりするが、その曲は内地の相撲ぢんくに似ている。
酒宴になると、娼のうちに客の背中や足を按摩してくれるのがいる。とても丁寧に揉んでくれる。
寝床の中に入ってもずっと揉み続けてくれる。客が もういいからよしな と言わなければ徹夜でもしてくれる。
寝床は春夏秋冬の年中琉球むしろで、内地のように敷布団を用いることはしない。
枕は木製の箱である。近頃内地人が残していった船底枕を持っているジュリもいる。
続く
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