廃藩置県直前の辻遊郭④渡地と中島の娼

辻の外に渡地と中島にも娼家があるが、その娼家の構造は辻遊郭に比べて品がなく、醜婦が多く、辻よりはるかに下等である。

戸数は両所合計して百たらず。娼婦の数は七百人、そこに集まる客は大抵船員の水夫とか火夫とか、土地の運送人である。

たとえて見れば内地の街娼のようなものだが、しかし、それでもめいめい各自の室を持っていることは辻と同じである。

ただ醜娼が多く辻の娘のようにチミジュリ(専属の妾)となっているのはいないようだ。

娼家には一種の貯蔵法がある。

娼婦たちは老少を問わず貧富と言わず、10人もしくは20人で組みを作り、毎月多少の金額を出し合い、期日になるとくじ引きをして当たったものが、その月分を受け取る仕組みになっている。(現在まで続く沖縄のモアイのことを指していると思われる)

娼婦たちはこうして蓄えた財を他所ごとに費やさず、女児請求の資本に備えている。

土地の百姓たちが自分の娘を遊郭に売るのは家計が貧困なためであるが、

多くは税金を納めきれず、ぎりぎりのところにきて仕方なく娘を遊郭に売るのである。

娘を売ろうとするときは父母はまず娼家を訪れて相談する。

娼家の方では妾たちがその娘の年齢、容姿を詳細に点検してから買値を持ち出す。

しかしその値段が父母の意にかなわなければ他の娼家に行って同様に相談する。

そういうことを数カ所で繰り返し、値段を高くつけた娼家に売り込むのである。

それはちょうど牛馬の市場で家畜を売買しているようで、別に一片の証文もいらないのである。

しかしすでに買われた娘は娼家のアンマーを義母とみなして交情親切である。

また、成長のあとは郷里の親にもときどき見舞いに行き寒暑を問い、手助けをするなど、極めていんぎんである。


続く


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