別名「虎杢」の貴重ヴィンテージ材の真壁型
いつもご覧くださりありがとうございます。一九六七年旧友の祝いの場で贈られた貴重珍器三線のご紹介です。ぜひ最後までお目通しください。
1967年。ジャッキー吉川とブルーコメッツのブルーシャトーがテレビラジオからひっきりなしに流れ、映画館では『夕陽のガンマン』が大ヒットし話題となっていた。ビートルズがアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発表、世界の音楽の可能性は変わった。そして沖縄は琉球政府時代であり、コザをはじめとした基地周辺の街は明日旅立っていく米兵たちが連日のように騒ぎ立てていた。そんな時代背景の中のある晩のこと。北部やんばるの宴会場で七十三歳の祝い「トゥシビースージ」が開かれていた。主役の男性の旧友はこの日のために、一年も前からある贈り物を準備していた。それは「八重山黒木三線」だった。旧友は八重山黒木材を直接八重山に渡り、三線屋で当時から貴重とされた「斑紋」入りのウジラー黒木を買い求めた後、また船に乗って本島に到着後、那覇の三線屋を巡ってこの三線を製作してくれる職人を探し歩いたのだ。今でこそ山原から那覇は有料道路や国道を使い、一時間ほどあればある程度目的地まで到着できるが、当時は名護曲りという不便な道路があり、続く恩納村を経由してからの那覇までの道は大変狭く、本数も非常に少なかったので、本島でも北から南までの移動は「旅」のようなものであった。旧友はそんなことなど苦労とも思わず、八重山~那覇を渡って三線を誂えさせたのだった。棹も胴も同じ職人が作るよう念押しした。そのため、棹も胴も同一人物で作ってもらえる三線屋を探し回ったのであった。一年後、真壁型として完成後したが、旧友はそれだけで満足することはなかった。彼はわざわざ天の真ん中中央部にアワビの貝を埋め込み、それを上から同材で蓋をした。続いて彼はチーガ内部に友への祝いへの想いと記録を書き記しておいた。そこにはこう書き記した。「猿尾7寸6分5厘に営るのは天財に営る」。そして彼が職人に守ってもらうよう強く依頼していたのは「三線の寸法」であったため、それもチーガ内部に書いてある。そう、これこそまさに昭和中期まで大切に扱われたとされる「三線信仰」を基に完成された一丁なのである。材を見ると、まるで絵に描いたような「斑紋」模様があちこちに不規則に散りばめられている。どんなベテランの職人や愛弦家でも、この斑紋入りの八重山黒木は10年に一度出会えるかというほど非常に数少ない。繁栄と長寿を願い贈られた拘りの三線。芯には年号と贈り主と七十三歳の友の名が刻まれている。しかもそれが褪せることのないよう芯にも薄塗りされているという念入り様だ。初めてこの旧友の書いた文字を見たときは、胸に熱いものが込み上げてきた。もしかすると受け取った友は、チーガを外してまでこの文字を見ることはなかったかもしれない。持ち込んだ御親族の方も文字を見て驚かれていた。1967年に製作されて以降〜現在2023年。この度、旧友の願いは私の目で再度確認されるに至った。棹は中太。棹は稍若干の動きは見られるものの、大きな捻りではなく演奏にも支障はない。塗りは古く、激しく剥げ落ちていたために、新しくスンチー塗りに仕上げさせていただいた。本皮張八分張り仕上げ。胴巻きは紛失したとのことで、こちらで牛皮製胴巻きを制作〜装着させていただいた。新たなカタチで復活した真壁型三線。音色は柔らかく実によく響く。まさに「猿尾7寸6分5厘に営るのは天財に営る」。この三線の持つ尽きることのない力強いパワーを活かし、これからも末永く御愛用いただける方に購入いただけたらと願っております。
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