決して表に出なかった三線工たち※眞栄田の場合

これからご紹介させていただくのは
那覇で三線屋を営なまれていた
大正生まれの故人から伺った見聞録
終戦後のこと
那覇のひめゆり方面に眞栄田という行商人がいた
彼は戦時中に片足を失い
あげくは先祖代々の店も焼野原と化し
親兄弟も亡くしていた
彼は収容所でかんから三線を覚え歌に興味を持った
片足で自転車に乗り 遺品を売り捌いたりした
今では考えられないが当時は
あちこちに散らばった戦前の遺品を拾い集めて
各地の民家に売り歩く姿は珍しくはなかった
だんだんと街は潤っていくのだが
そうなると行商は傾いてくる
経済が回ってくると 
より新鮮なものを求める人々が増えてきた
何もかもを失っていた眞栄田が始めたのが
三線職であった
両手と片足をうまく使い
足の指で芯を固定して
右手でやすりを持った
彼の工場は原っぱで
時に市場の人通りの片隅で作るのだった
倒れた木を製材屋に持ち込み
豚肉や缶詰などで工賃は払った
物物交換で生きていた時代
こうして出来た棹を三線屋に売り歩く
出来が悪いと酷評された後
棹は引き取られたが
食べ物は少ししか与えられない時もあった
こうしたやり取りをしながらも
少しずつ腕は上がっていった
見様見真似の作り方も
戦前三線工であった方との出会いがあり
細かな指示を教えられる
野坂や芯の尺の長さの取り方などである
その時はじめて金尺を手に入れることとなる
金尺 鑢 キリ ハンマー
主にそれを使って棹作りはどんどん捗った
そうして少しずつお金ができてから
トタン屋を借りて暮らすようになった
家で作り それを自転車に乗せて
那覇〜コザ方面まであり歩いた
悪口を言いながらも
店のものは安くで買い取る
そうやって地盤が出来つつあった
彼は行商中に出会った一匹の犬がいた
犬は視力を失っていたが
このままでは誰かに連れられて
犬汁にされるだろうと思った眞栄田は
犬を引き取ることにした
犬は忠実で 吠えることなく
自転車の荷台に乗っかって
片足の眞栄田と行商に参加した
留守番をすることがあっても
家の前で大人しく眞栄田の帰りを待った
しかしある日のこと
牧港付近で横断歩道を渡ろうとした眞栄田は
大型トラックに跳ねられてしまう
一命は取り留めたものの
具合を悪く働けなくなった上
誰も看病をするものもなく
夏の日の暑い昼時
彼は自宅で息を引き取った
孤独死であった
最近眞栄田の姿がないと心配した近所の者が
発見者となった
その後は犬は近所のものが引き取ったが
その犬もしばらくして亡くなった
昔はほとんどの三線屋は全ての技を店で行っていた
そんな中で陰に隠れて
眞栄田のような行商人の存在があったことも
忘れてはならないと思い ここに記す

0コメント

  • 1000 / 1000