沖縄が戦争の激戦地になる前のハワイ移民の際、海を渡った三線があります。
沖縄で生まれ、故郷を離れ遠い地のハワイへ渡り、移民者の心を支えてくれた三線。
知らない土地、言葉も通じず、過酷な労働の中ですり減る沖縄人(うちなーんちゅ)。
生きる事で懸命になって行くうちに沖縄の風景が消えかかる沖縄人が、唯一故郷を思い出せるのがこの三線の音色だったのだろう。
ハワイへ移民した沖縄人のすべてを知り、見てきた三線。
著:池宮喜輝先生の「琉球芸能教範」にもその三線の情報が掲載されています。
戦火を生き残った五丁の三線、終戦後撮影の貴重な写真。
写真右の二丁はホノルル市の大城松十氏所有の御拝領三線、
真ん中はオーラ島袋眞勢氏所有の南風原三線、
左二丁はホノルル市の仲兼久幸助氏所有の真壁型。
かつては移民者の数だけ海を渡った三線があったのかもしれません。
この三線は長い時を経て、生まれの地、沖縄に帰ってきたのです。
池宮喜輝先生の「琉球芸能教範」に記録された戦前三線達、実際にその名器に出会えるというのは、大変貴重なことであり、博物館もしくは非常に稀に所有者を通して拝見できる以外皆無に等しいだろう。
また、様々な時代の移り変わりの中で、それら名器が今なお現存しているかどうかは、非常に厳しい状況といえるでしょう。
現在、泰屋三線では一丁の琉球芸能教範掲載の布哇島の部「タマイ真壁三線」をお預かりしています。
今、この貴重な三線をお預かりし、このように皆様に提示できるのは、それだけで「奇跡」なのだと言う事を深く深く皆様に知っていただきたい・・・
遠い異国の地で戦火を生き延び、移民者の心を支え続けた名器をぜひ、ご覧ください。
0コメント