三線と辻遊郭 波之上宮

過去の沖縄に置いて、首里那覇(シュイナーファ)という場所があります。

波之上(ナンミン)と辻町(チーヂ)と呼ばれる地域、その場所は三線と深い関係があったのです。

現在の辻町にはスナックや風俗店が多数あり、沖縄の裏の世界、夜の繁華街を賑せているが、

過去の琉球王朝時代~戦前までのおよそ420年ほど、数百件に及ぶ遊郭社会の厳しい文化が渾然と存在していた。

抱親(アンマー)という女性経営者と、その遊女(ジュリ)によって遊郭社会は営まれていた。

その多くは幼いころ、「蘇鉄地獄」(下記参照)と呼ばれる世界恐慌の時代に家計が苦しく、娘を遊郭へ売らなければ生き延びる事が出来ず、涙を流しながらすがる幼い我が子を、二度と会うことの出来ない遊郭の世界へ送るしかなかった。

親兄弟と離れ離れになり、生家の生まれも失った彼女たちはジュリとして第2の人生を歩まなければならなかった。

※「蘇鉄地獄」・・・大正末期から昭和初期にかけておこった恐慌、沖縄では極度の不況のため米はおろか芋さえも口にできず、多くの農民が野生の蘇鉄(そてつ)を食糧とした。毒性を持つ蘇鉄(そてつ)は、調理法をあやまると死の危険性があるにもかかわらず、その実や幹で飢えをしのぐほかないほど、沖縄の県民は疲弊し飢餓に苦しんだ。その様な状況にも関わらず国税は徴収させ続け、続く自然災害が追い打ちをかけ、県民の暮らしは文字通り「地獄絵図」となり、農家では身売りが公然と行われた。女の子はジュリの卵として、男の子は漁夫として売られた。

ジュリたちは客をおもてなしするため、徹底して芸事を身に着ける必要があった。

その芸事はとても華やかなものであり、洗練されたものであった。おもな芸事として琉球舞踊や三線を披露していた。

また、厳しい遊郭社会では、男も黙る女たちの厳しいルールがあり、代金のかけを延滞することは絶対に許されなかったというエピソードがある。

「遊郭で遊び、金が払えなければ、家庭に使う金をそこにあてなければ恐ろしい目に会う」と言われるほど、絶対の厳しい掟があった。

お役人達でさえ親の形見の三線を、かけを払うため遊女に預けたといわれており、絶対的な信頼関係や人間性や情(なさけ)を持たないものは、通うことさえ許されなかった。

また、お役人達は遊女から「遊び(あしび)唄」を習っていたと伝えられている。

古典音楽の原型に変化を加え、民間に広まっていった民謡に、より遊びやテンポや歌詞をつけた「遊び(あしび)唄」は、遊女達の得意とする唄であった。

戦前に撮影された遊郭の写真で、辻町の店の入り口に座って三線を弾くジュリの姿が今も残っている。

余談ですが、辻町を代表する遊郭の場所も戦火で焼け野原になるまでは多くの亀甲墓などが並ぶ墓地が沢山あったという記録が残っている。ペリーが来沖した記録にも、「沢山の家が並んでいると思ったら、沖縄の墓だった」というように、辻町の墓の多さに驚いた様子が記録されている。

現在の沖縄の辻町は歓楽街となっており、かつてあった亀甲墓はもう残っておりません。

私の小さな頃の記憶ですが、近所にいた「ハジチをしたオバア」たちの印象は、とても口調が強かった。

どちらかというと言葉がはっきりしており、荒々しくキツイ感じの口調で喧嘩っ早い言葉使いに、幼い私は「怖さ」まで覚えたものだ。

あのオバアたちも明治~大正生まれの方々だったから、おそらくジュリ達も強い口調の方々が多かったのではないかと想像する。

※ハジチについてはコラム「沖縄のシャーマニズムと三線」をご参照ください。

かつてジュリ達は遊郭の近くにある波之上宮に、よく手を合わせていたと言われている。

私は辻遊郭に関連する三線が、縁あって私の元へ来ると、鎮魂として、波之上宮に手を合わせにいく。

ジュリの苦悩や祈り、願いは波之上宮にあり、彼女たちの愛器を受け取った私は感謝と弔いを告げる為に波之上宮に行くのは礼儀であり、かつてジュリ達の遊郭社会にあった厳しい掟にならった行いだと考えております。

又、隣村の那覇久米村から伝わる三線なども、ご縁あって私の元へ来きます。

このことは、私自身、この縁というものに正直とても驚いているのです。

写真や本でしか見る事の出来ない三線、所有者も不明でなかなかお会いできない三線が、私の元へやってくる・・・

たとえ求めたとしても手に入れることは難しい三線ばかりです。

かつてのジュリの数だけ存在したと思われる、または遊郭に由来のある時代の三線が、こちらから求めなくても、突然依頼が来たり、出会いがあるのです。

この運命めいた出会いに、これは素晴らしいことだと自負しております。何かしらのご縁の力が働いているのだと感じております。

私はその三線達を、ジュリ達の生きた証を、今の世に紹介することが自身の役目だと受け止めています。

今日も訪れた波之上宮、素晴らしい晴天の中で、彼女たちの魂が安らかなる事を願いつつ。

感謝と祈りを想い、手を合わせます。

0コメント

  • 1000 / 1000