山内昌永さんの人工皮三線の思い出

前回、嘉手納の山内のおじいのお話をさせていただきましたが、旧嘉手納ロータリーにあった山内昌永さんの印象や思い出も心に残っています。
旧嘉手納ロータリーをご存知の方はわかると思いますが、中央の円の周辺には店が並んでいました。パーマ屋、刺身屋、写真屋、婦人服屋、軍払い下げ品屋などなど。また筋道を入ると裏手には飲み屋(中には怪しい店もあった)もあり、独特の町並みでした。
その中に三線屋がありましたが、それが民謡歌手山内昌永三味線店でした。国道五十八号線でもあり車のスピードはとんでもないものでした。私は道沿いに恐々と駐車するなり、あの民謡の大御所山内さんに会えるのかと思いワクワクしながら戸を開いたものです。何本か陳列棚には三線があり、その奥の方で白髪頭の山内昌永さんがちょうどカラクイを削っていました。山内さんは若造である私をジーと見つめて、「なんで入ってきたんだ」というような雰囲気で、また作業に戻っていました。今でこそ学生や内地の人でも三線屋に入っていくことは珍しくありませんでしたが、その頃までは若い人がわざわざお金を出して三線を買うという世の中ではありませんでした。私は「手頃な三線はありませんか」と聞くと、それなら人工皮三線があるよと言って、真壁型の一丁を差し出してくれました。人工皮も強烈にパンパンに強く張られて、鳴らすと、テーーン。。。というよりはガキーーン。。。という感じで、それがなんとも耳が痛いのです。しかし、なんだか山内さんはキン鳴い(強く張られてキンキンと鳴るの意味)の音色が好きなようで、他の三線も全部キン鳴いしていました。私はその時に、これもまた昔人の味わいなのだと深く思ったものでした。35000円を払って喜んで自宅や海で弾きまくりました。それからしばらくして三線店や三線貿易などの仕事に携わり始めた私の前に、ある外国製の真壁型の棹が目に入って、それが全く山内さんのところで買った棹と同じ製造でした笑 しかしいくら外国製とわかっても、山内さんがカラクイと部当てを行い、ティーガーをはめ、紐を締めたあの感触が残るため、海外製でも私にとっては山内製に変わりありませんでした。山内昌永さんに会えたのはその時の一度きりでしたが、今でも良い思い出です。ですから今でも時々、こちらに持って来られた三線の皮に、キンキンの人工皮張りに出会うと、ああ、昔人の好みで張られたものだな と懐かしく感じます。人工皮張りを見下げる傾向が世の中にはありますが、それは間違いです。人工の音色のよさというものがあります。私の中では立派な音色ジャンルとして確立しています。

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